著 姫月 命 第1話 証言ファイル01 青木圭介は幼少のころモンスターと遭遇したことがある。 しかし、その不思議な記憶を信じるものは家族にも友人にも居なかった。 大学を出て、警察官になった青木が三十路を過ぎて担当した奇怪な事件が、その記憶を二十数年ぶりに呼び起こした。 三十人からなる暴力団組織の大人を、小学3年生の少年が殺傷したと交番に自首してきたのだ。 証言どおり現場に駆けつけた警察官らの前で、不気味に静まり返った組織事務所にはおぞましい死体の山が転がっていた。 警察が全力を挙げて少年の身柄を尊守、マスコミからの一切の対応から少年の存在を一時的に隠匿する傍らで、警視庁捜査1課に配属されて間もない青木は、自首した少年を精神鑑定官と共に事情聴取することとなった。 鑑定の一定の結果から、少年の精神状態は極めて冷静であると判断された。 むしろ、少年の精神能力の高さに焦点が当てられた。 精神鑑定の結果からでは、少年の質問に対する回答から算出される推定年齢は15歳程度だと言うのだ。 それにしても暴力行為に経験も技術もはるかに劣るこのわずか10歳の少年が、数時間で30人にも上る暴力団員を一度に殺傷することは常識では考えられない出来事である。 青木と精神医は、慎重に慎重を重ねながら、犯行の動機から少年に質問し直した。 その質問の回答から浮かび上がったものが、青木の幼少の記憶を揺さぶることとなる。 ―Out of place Creatures. 俗称『オープラック』。 インターネット内で密かに囁き始められたのは、ここ数年のことらしい。 オーパーツと同様に、人類が接触してきた人智とは意を違う存在。 言わば、モンスターたちのことである。 イギリスの『オープラック』専門のページを読むと、そこには、有史以前から伝えられるモンスターの歴史や、資料をはじめ、昨今書き込まれたモンスター目撃情報などが繊細に掲載されている。 ゴシップぽいものばかりだが、中には不思議と説得力のあるものも含まれている。 『オープラック』の研究者たちは世界中に現存しており、さまざまな角度からの検証を試みていると言う。 少年の犯行動機になった日本の『オープラック』に関する一つのホームページを覗いたとき、青木の背筋を冷たいものが走った。 少年の証言によると、『Liberat Animi Potential In Sum』と言うオープラックは、『Granum』グラナムと呼ばれる複雑な形をした石によって覚醒し、人体を媒介し『Libido』リビドーと呼ぶモンスターを召還すると言う。 少年は、ある日その掲示板にコンタクトしたところ、『Liberat Animi Potential In Sum 』通称ラピス。から彼宛に返信メールが届いたと言うのだ。 そのメールの送信者に出会い、『グラナム』を受け継いで、自身で覚醒させた『リビドー』を操り、借金の返済に家族を苦しめていた暴力団事務所を壊滅させたのだと言った。 その後、少年の前に赤と青とオレンジと紫の光を放つヒトが現れ、そのうちのオレンジを放つヒト(少年の話だと女性だったと言う)が、少年を抱きかかえ体内から『グラナム』を取り出すと、少年にそれを一時的に隠そうとした『ラピス』を連れて天空へと消えたと言うのである。 少年の名前は渡辺憲太、都内の小学校に通う10歳である。 家族は父親と母親、それに痴呆症の祖母、兄弟には6歳になる妹がいた。 父親の正美(まさよし)は、コンビニエンスストアを妻の恵子と経営していたが、経営は困窮していた。 私鉄の駅からほど近い立地条件に恵まれてはいたものの、最近まで酒・たばこ類の陳列に対する権利が認められず、相次いでオープンした3件のコンビニエンスストアにいつの間にか客足を取られていく。 その先で、24時間の勤務で疲労困憊する家族を他所に、痴呆を患った父方の祖母、峰(みね)が近所の壁を壊したり、他人の家に自分の家だと押し入ったり、警察に保護されることも度重なっていた。 経営不振を払拭しようと金融業者を借り回しして出来た借金は8桁を超え、毎晩ヤクザが嫌がらせに来ることも続いていた。 少年は、そんな家族の地獄のような毎日の中で、ことの発端を、借金ではなく、暴力に訴えるヤクザに見出したのかも知れない。 いいや、10歳の少年の推理力からでは大人の事情も世界も推し量れる領域を遥かに超えている。 少年にとって、暴力団こそが元凶に見えたのであろう。 塾へ行く金もなく、近所を徘徊する祖母のうわさで学校でもつまはじきにされながら、少年は否応なく自宅以外の行き場を失ってゆく。 これに加えて、父の不在は日を追うごとに増し、母親は祖母の面倒に怒りやすくなり、妹は泣いてばかりいたせいもあってか、父の書斎に置かれたパソコンが、少年の孤独の掃き溜めへと変わって行ったという。 少年の証言はここから、先の不可解な部分へと続いてゆく。 家庭環境と、その後出頭した少年のご両親の証言とから、少年が正常な精神状態でいられなかったであろうことは容易に理解できた。 しかし、現場には30体にも及ぶ死体が残されていたのも事実である。 衰退しきった少年のご両親もまた、容疑者としての嫌疑にかけられることとなった。 少年の証言は、近親者をかばっての虚言だろうと誰もが思う中、少年がかばい立てする人物で、暴力団への怨恨を持っている人物として真っ先に浮かび上がったのが、少年の両親だったからだ。 何とか、目撃証言だけでも引き出せと上司に言われるまま、青木は少年とこの施設へと来たのであった。 しかし、少年の証言は固く、真実を言っているとしか言いようがなかった。 自分がこの手で、リビドーを操り殺害したのだと。 脳波に異常も見られない少年の証言を、どう受け止めてよいのか困惑する一方で、青木は幼少のころ遭遇した記憶を思い出していた。 それは、青木が12歳になったばかりの春先、父親の仕事で住んでいたフィンランドで起こったものだった。 20年以上も前の記憶である。 領事館で働く父親のもと、ホテル住まいだった青木は好奇心に負けて、一人では行ってはいけないと言われていた街中へ入っていった。 青木は地元で友達になったイーッタラ(Iittala)とマリメッコ(Marimekko)と共に街へ出るとストリートで広げられる大道芸などを楽しんでいた。 「ケスケー、俺大きくなったらお前のことを島に呼んでやるからな。」 エッヘンと胸を張ってイーッタラが言った。 山のない国。 森と湖の国。 そう呼ばれるこの国を、地元民は好んでスオミと呼ぶ。 6万近くある湖には島も多い。 ここでのステイタスは、将来自分の家ではなく、島を持つこと。 豊かな自然の中で、青木たちはのびのびと生活していたのだ。 そこへ事件は舞い降りた。 「ドロボー!ドロボー!」 福祉などの福利厚生での世界的実績のもと、経済成長に著しかったフィンランドも90年代に突入すると一気に失業者が増えた。 景気の悪化した街に治安が緩むのはどこの国でも同じことだ。 だからこそ、青木の父親は勝手に外出するなと警告していたのだが、親の目を盗んで好奇心に身をゆだねるのも子供の常である。 青木とイーッタラの目の前を警官が駆け抜けていく。 もちろん3人は後を追った。 こんな面白いものは早々見られるものではないからだ。 「どんな人だろう?」 マリメッコは怪訝そうにそう言いながら青木のすそを握っている。 「バカだなぁ。父ちゃんが言ってたよ。この国で盗むやつなんかバカしかいないって。世界でも豊かな国の一つなんだからって。」 「へぇ、イーッタラよく知ってるな。」 「とうちゃんも警官だしな。街の悪いやつらをとっ捕まえてるんだぜ!すげぇ強ぇんだ、おれのとうちゃん!」 「でもイーッタラは、ぜんぜん弱いじゃん。」 え?と言う顔で青木がマリメッコを覗き込む。 「こないだだって、上級生のペッキアーロにけんか売られてべそかいてたもん。」 「うるせぇや!おれはバカとはけんかなんかしないんだよ!」 そんな会話を話していると、 「ぐうわっぁぁああ!」 大人の男性の悲鳴が聞こえて、露店が壊れる激しい音が響いた。 パァン! パァン! と銃声が2発聞こえる先で次々に大人たちが青木たちの方へと走ってきた。 「た…たすけてくれぇぇ!!」 ―何だ?! 青木たちは逃げ惑う人々の影で呆然と立ちすくみながら、その逃げてきた先へと視線を向けた。 人ごみが視界をさえぎってよく見えない。 ましてや、12歳でまだ身長も極めて低かった。 イーッタラもマリメッコも、大人の腰辺りに満たない身長で、必死に何が起こったのか知ろうともがいた。 「アーナナス!化け物のアーナナスだ!」 ―アーナナス? フィンランド語でパイナップルのことだ。 ―何でパイナップルの化け物でみんなこんなに慌ててるんだ? 3人は互いに顔を見合わせた。 「危ないぞ!ぼうず、早く逃げろ!」 親切な大人がものすごい形相でそう言いながら3人の前を走り抜けた。 「パイナップルのお化けがどうしたんだよぉ!」 好奇心旺盛なイーッタラは、逃げ惑う会衆にそう呼びかけた。 「ひ、人食いパイナップルだ!お前らも食われるぞ!急げ!」 ―人食いパイナップル? また3人は顔を見合わせて混乱した。 その時であった。 「とうちゃん!」 イーッタラが拳銃を構えたまま後ろへ下がってくる警官に言った。 「イーッタラ?何やってるんだおまえ、こんな所で。」 それはいつもイーッタラが自慢している警官の親父さんだった。 「ねー、パイナップルのお化けって?」 「おじさん、いったい何が起こったの?」 「銀行強盗かなんかですか?」 しかし話している暇はなかった。 「何でもいいから、お前らは早くここから逃げろ!逃げるんだイーッタラ!」 ズボンのすそを引っ張る息子に、警官は父親らしい激を飛ばした。 「とうちゃん…あれ……。」 すそを放せと合図する先で、息子の表情が一気に青ざめた。 青木は言いようのない恐怖に襲われながらも、二人の会話の先へと視線を延ばした。 そのイーッタラの父親の向こうに、自動車くらいの大きさの頭の蛇みたいな化け物がゆっくりとこっちへ向かっていたのだ。 「うわ!化け物!」 その化け物(モンスター)は、しっぽと大きな頭しか見えなかった。 頭には無数の太くて硬そうなトゲが生えている。 目も鼻もどこにも見当たらないが、確かにこっちへ近づいてくる様子から、どこかに目があるのだろうと青木は思った。 その化け物が口を大きく開いて威嚇している。 口を開けると、その影で警官も自分たちも隠れてしまった。 なんと表現したらいいのだろう? その化け物の表面にはぬめりがあってウナギのように鱗はない。 時折、威嚇する意味か、頭部を覆う無数の太いトゲが一斉に立つ。 そして、口を開いて今にも飛び掛りそうに蛇のように動いているのだ。 トゲは伸縮自在のようだった。 頭を振り、同時にトゲを大きく伸ばして屋台を破壊しながら進んでくる。 ―何なんだ? 黒く、時に青に、時に緑に光沢を見せる全身のうねりがゆっくりと、ナメクジのように大地を這って踊っているようだった。 イーッタラもマリメッコも青木も、そのおぞましさに金縛りのように身動き取れずにいた。 ゆっくりと化け物は近づいてきた。 トゲと舌とで獲物を探しているような動きでゆっくりと近づく。 「くそぉ!!」 パァン! パンパン! 銃声が響く。 銃弾は頭を貫いたようにも、その皮膚に飲み込まれたようにも見えた。 化け物はかすり傷ほどもみせず、痛みさえ感じていない様子で、じりじりと近づく カチッ。 カチッ。 玉の切れた拳銃を撃つむなしい音が鳴り響く。 「とうちゃん…。」 イーッタラが呟いた先で、弾奏を変えると、 「いいか、父ちゃんが走ったら、お前らは反対へ走れ!いいな!」 うなずく暇はなかった。 うん。と言おうとした先で、今までゆっくりだった化け物がムチのようにしなりながらまっすぐに走ると目の前でその口がイーッタラの親父さんを食らったのだ。 「ううぅぅうわぁぁああ!!!」 3人は腰を抜かしてそこへしゃがみ込んだ。 鋭い無数の牙が、ものの一瞬でくわえ込んだ警官をバリッボリッと不気味な音を立てて噛み砕いてゆく。 パァンッ! パァンッ! 小刻みにうごめく口の中で数発の銃声が響いた。 「とうちゃぁぁん!」 化け物の閉じた口の脇からおびただしい血流が流れる。 恐怖に怯えて、身動きできない青木の前で、イーッタラが立ち上がった。 「わははははっは!!」 食しているうちは静止しているように見える化け物の向こうから、高らかな笑い声が聞こえてきたのは、無防備に化け物へ近づいてゆくイーッタラを制止しようと青木が声をかけたその時だった。 「死ねぇ、死ねぇ、死ねぇ!ふふはははは、はぁはははは!!みんなあいつに食われて死んじまいやがれ!はははは!」 ペンキに薄汚れた作業着姿の男は泣きながらそう半狂乱の中で笑っていた。 「お前が本当の悪もんだな!」 ―何言ってるんだ? 青木はイーッタラがおかしくなったように思えた。 「イーッタラ!」 やめろ!と青木は、イーッタラの名前を呼んだ。 もう周辺から民衆は避難し、3人を残してはそこには誰も居ない。 静けさが、その化け物の背後の男の声だけを高らかに響かせる。 不気味な笑い声であった。 「お前が化け物の親分だろう!」 ―やめろ!イーッタラ! 青木もマリメッコも言葉にならない声を発した。 今まで小刻みに動いていた化け物の口が静かに止む。 その食した満足げな間が、青木とマリメッコの恐怖を増幅させた。 ゆっくりと口だけのその頭を斜めにかしげる。 そして、何かを探るようにゆっくりと旋回する。 次の獲物を探しているようだ。 イーッタラは、その化け物の正面に立っていた。 「よくも、とうちゃんを…!」 ―イーッタラ 「おれのとうちゃんを食いやがって…。」 イーッタラの右こぶしが強く握られる。 ワイシャツに半ズボンのイーッタラは、まだ若干12歳。 その純粋無垢な瞳が激しく怒りに燃えていた。 「なんだよ。ガキしか残ってねぇのか、他へ行くかぁ。」 腕組みしてこっちを見ながら、作業服の男が言った。 「き…さ…ま…。」 「やめろぉ!イーッタラ!」 青木の叫ぶのと、イーッタラの駆け出すのとが同時だった。 一気に男の方へ、化け物を越えて走ったイーッタラを、男は微笑みながら両手を差し出して歓迎した。 すると、次の瞬間、青木たちの前で止まっていた化け物が振り向き、ものすごいスピードでイーッタラを追い、一口に飲み干した。 鋭い無数の牙が、イーッタラをものの一瞬でくわえ込み、バリッボリッと不気味な音を立てて噛み砕いてゆく。 「あははははっはっはは!」 作業服の男は、手を差し伸べたまま大声で笑っていた。 ―狂ってる。 ―イーッタラ…。 「あはははは!まだ足りないか?あそこのガキも食っていいぞぉ。」 ゆっくりと男がこんどは、青木たちの方へと歩き始めた。 化け物はその男の言葉を聞くように頭をもたげ、ゆっくりと反転し、2人の下へと動き始めた。 ―もうだめだ。 2人がそう確信したとき、背後から彼らは現れた。 「もう大丈夫だ。」 「おいおい、ひどいな、こりゃ…。」 「お下品なスプラッターだこと。」 「逃げないうちにやっつけちゃいますか。」 ―え?誰? そう思っても怖くて動けない。 怖くて振り向くこともできない2人であった。 「この子達は私が避難するわ。」 「頼んだぜ。」 声は複数いるみたいである。 「怖かったわね。もう心配しないでいいわよ。」 声は耳へ、ではなく、心に直接届くようだった。 その声の主が青木とマリメッコの肩をしっかりと抱く。 腕から肌に伝わってくる暖かいぬくもりが、心拍数を沈めて行くようだった。 その先で化け物の前にふわっと浮いているような感覚の人影が4つ現れた。 その人影らしい4つの影が、それぞれ異なる光を放っている。 赤。 青。 紫。 黄。 青木は思わず目をこすったが、彼らをまとっている光は消えることはなかった。 そして、数十分にわたる化け物と4人の死闘が青木たちの眼前で繰り広げられたのである。 死闘の末、化け物は消え去り、青木たちは解放された。 5人の人影が瞬く間に消えさったかと思うのと同時くらいで駆けつけた警察官たちに身柄を確保されながら、必死に説明する2人をよそに、誰も青木たちの証言を信じるものはなく、イーッタラとその父親は行方不明と言うこととなった。 警察に保護されながら家族の元に戻った青木を待っていたのは長時間に及ぶ説教であった。 その後何度か思い出そうとする青木にも、そのときの死闘の様子に関する記憶がおぼろげではっきりと思い出せなかった。 覚えているのは、……別れの言葉も残さず、5人の人影が瞬く間に消えていったと言うことだけであった。 その翌年、日本へ帰国した青木は、今日まで恥ずかしい記憶のように感じたその思い出をしっかりと封印していた。 父には約束を守らなかった言い訳と責められたその記憶である。 年齢を増すごとに馬鹿げた妄想か夢だったんじゃないかと思うようになって行った記憶であった。 ―赤と青とオレンジと紫の光を放つヒト? 青木は、少年の証言にふと、遠い記憶を呼び起こした。 催眠診療の深層心理実験の時のことである。 「その光の人は、何か言っていたかい?」 青木の質問に、催眠状態の少年が答えた。 「お兄ちゃんの名前はなんて言うの?って聞いたんだ。そしたら、お兄ちゃん、僕たちの名前は、そうだな、ヒュー。そう、ヒューマンだ。って言ってた。」 「ヒューマン?」 医師が首を傾げる。 「他には?」 青木は更に続けた。 「僕はどうなるの?って聞いたら、大丈夫だよ。もう心配しないでいいよって…しっかり勉強して立派な大人になりなさいって。」 「今日はこのくらいにしましょう。」 と医師が言う先で、 「あ!」 と少年が何かを見つけたように叫んだ。 「どうした?何か見つけたのか?」 覗き込むように青木が言う。 「オレンジのお姉ちゃんが…。」 「お姉ちゃんがどうした?」 少年の額に玉の汗が浮かび上がる。 「お姉ちゃん…お姉ちゃんが…。」 興味深い証言は今、まさに聞きだせるチャンスであった。 しかし、同時に少年の興奮が激しくなることは医師たちにとっては好ましい状態ではない。 「青木さん。」 やめようと、医師が手を伸ばす先で、青木は粘った。 「もうすこしだけ…。」 「しかし…。」 激しく興奮している憲太の顔色が見る見る内に変わって行く。 「う…、うう…。」 何かを伝えようとしているのか?言葉にならなくなった。 「青木さん!」 「待て…。」 青木が医師の手を制止する。 「うう……。」 苦しそうに汗を噴き出しながら少年がもだえ始める。 「青木さん。」 その目が危険信号を送る先で、青木と医師は耳を疑った。 「ウェイト!フイミン、ドゥフォルジュ。グラナム、スティル、アライバル、ビケアフォル!サクラァ!!」 突然、少年の口から流暢な英語が聞こえてきたのだ。 青木と医師は思わず互いに顔を見合わせた。 ―聞こえたか?今の と確認するように見つめあう。 しかし、少年の口から放たれた言葉はそれが最後だった。 不可解な点を残しながらも、その後少年、渡辺憲太の身柄は施設へと護送され、事件は尋常ならざる惨劇に居合わせた衝撃による少年の精神錯乱と言うこととなった。 つまり、大量の殺人現場に何らかの理由によって居合わせた少年の意識が、突発的に未発達な心理への破壊的な影響を避けるために作りだした妄想を通して、目の前の惨劇の一時的な認識を鈍らせ、彼自身を化け物と認識させることにより、その現実のつじつまを少年なりに形作ったと言うわけだ。 尋常ではない少年の精神能力と理性が、妄想を受け入れさせ自首するに至ったと結論着けたのである。 この暴力団員30名殺害事件は少年とは分離して捜査され、少年に至っては、インターネットの持つ影響力の現代社会が作り出した典型的な事例であり、事件であるとして別意を残すこととなった。 その後も、検閲は続くものの、少年が参照した『オープラック』サイトは別段法的処置の裁定内には定まっていない。 無差別な情報が飛び交うのはインターネットに限られた訳ではないとしながら、検察を含め、各教育機関が更なる青少年への保護と観察における課題を突きつけられるに終わった。 依然、暴力団員30名殺害事件の犯人は不明、青木は、ふと覗いたかつての記憶にリンクするような錯覚を抱いたまま、現場へと復帰して行った。 つづく