松村浩史の頭の中へようこそ さて 僕の人生は、誰に聞いても次のページをめくるまで何が起こるか分からないと言われ続けてきました。今日でも、それをよく言われます。 自分の人生なんだから、しょうがない。 僕にもわからないのだ。(Mr.ひらきなおり) ではその断片を書き出してみよう。 【プロフィール】---------------------------- 1970年4月2日 愛知県生まれ。 西区の名古屋城が見える縁側を持つ旧家で産まれたらしい。 3歳まで兼業で働いていた父母とともに祖父母の家で育つ。 人生の一番最初の記憶は、ぼやけた景色に浮かぶ赤や黄色の光の景色。 それはどうやら自宅のようで、後から聞いたところによると曽祖父の葬儀の思い出であったようだ。 祖母には末っ子が男の子の5人兄弟が居て、その長女が母であった。 父もまた、5人兄弟であったが母とは真逆の末っ子だったらしい。 父方の祖父は警察学校の教師をしていたと言うが、父が高校に上がる前に癌で他界した。 ■最初の引っ越し-------- 3歳で祖父の元を離れ、父方の実家である岡山へ引っ越すことが決まると、僕はたいそう抵抗した。しかし、そんな抵抗むなしく岡山へと帰った僕に後に会いに来てくれた祖父母が恋しくて、休暇明けで名古屋へ帰ると言う祖父母との別れが受け入れられず、父の手を振り払い、祖父母が乗り込んだタクシーを追って道路へ出た途端、対向車線の車に僕ははねられた。右目の瞼を切った程度で済んだ僕を残して祖父母は帰郷。僕は、当時引っ越してきたよそ者と言うことで、公団の子どもたちにいじめられ、まだ傷の癒えていない眼帯の下に砂を入れて、頭を靴で踏まれたりした。 その後、幼稚園へ入ると、最初の友達や、初恋の彼女ができたりした。 幼稚園の目の前のラーメン屋の娘は、フランス人形のような堀の深い顔で、一目惚れした僕は、毎朝彼女の家まで迎えに行って、帰りは一緒に彼女の家まで送って行った。 幼稚園時代の忘れられない思い出がある。 ある年、引っ越してきた男の子がいつの間にか彼女を奪っていたのだが、僕は彼に勝てなかった。それまではかけっこでも何でも1番だった僕が、彼のために2番になったからだ。 空手を学んでいると言う彼に勝ちたくて、公団の公園にあるアルミの滑り台を友達と何度も殴って強くなりたいと思った。 どうやったのかは、今となっては覚えてはいないが、僕は後々彼女を彼から取り戻す。 そして、幼稚園の卒業とともに2度目の引っ越しがやってきた。 ■2度目の引っ越し-------- 引っ越し先で僕はすぐ保育園に入った。 兼業家庭の定めってやつだ。保育園時代の忘れられない思い出は、保母さんをお母さんと呼んでしまい、恥ずかしくて卒園まで口がきけなかったことだ。今思うと、もったいない(笑)保育園で仲良しになった二人の内、一人は、現在でも交流がある。幼馴染と呼べる親友の一人だ。そんな、2人と3人で僕たちはいつでもどこへでも出かけて遊んだ。 僕の引っ越した先は、土間のある家で、家では柴犬と秋田犬、マルチーズの3種類も犬を飼っていて、土間を抜けた先には、親父の畑でいちごが植えられていた。 家の前は大きな田んぼで、隣りは老夫婦が犬と鳩と豚と一緒に生活をしていた。 次に引っ越しをする9歳までの約5年間、僕は大自然の中で文字通り、山を駆け巡り、川で泳いで、泥んこになりながら年を重ねて行った。 初めての沢蟹取り。田んぼでの相撲やかけっこ、豚の散歩、山菜取りに、スズメバチとの大格闘、数えきれない思い出が僕を田舎の虜にしていた。小学校へ上がり、新しい友達も増えた頃、僕にまた友達との別れの時が訪れた。 別れたくなくて、学校の机に教科書を残して、平日の引っ越しの日にわざと学校に立ち寄ったのがいけなかった。 クラスだけじゃなく、学年全員が校庭の端まで走ってきて、見えなくなるまで手を振って送ってくれたことが、僕に二度と親友を作るまいと言う決心をさせる。

■3度目の引っ越し-------- 転校先では、4年生になるまでほぼ毎日だれかと喧嘩をしていた。 一番多かった時は、21人を1人で倒してしまった。 高学年では、暴力団を親に持つ子と親友になる。 周りが彼を怖がるのがどうしても分からなかった。 悪いことは悪い!だから、平気で親友の頭を殴った。 彼は北斗の拳のケンシロウを目指し、僕はラオウを愛した。 いつももっと強くなりたい!もっと強くなりたいとお互い話していた。 彼とは、高校3年で劇的な再会を果たす。 4年生:担任に卒業まで喧嘩をしなかったら欲しいものをなんでもやると約束され、もともと好きでもなかった喧嘩から、離れるようになる。 5年生:どうしても喧嘩を習いたいと言う子を殴る。血だらけになって、僕を嫌いになって二度と喧嘩なんかしたくないと言うだろうと思ったが、彼は僕の足にしがみついて泣きながら強くなりたいと言った。この時、二度と人を殴らないと言う決心をする。 6年:公の喧嘩を4年からすることなく、教師から約束の欲しかったもの「ギネス・ブック」を貰って卒業する。 どうして「ギネスブック」なんかが欲しかったか? 世界1になるにはどうしたらいいかを学びたかったから。 当時は喧嘩でしか世界1になれないと本気で思っていた。 違う世界1を見てみたかったのだ。 ■中学時代-------- 1年:転校したてで、親友を3人作ると決心。   作った親友を剣道部に勧誘、同じ部員として3年間遊ぶ。   その内、1人目は、警察官の息子。(マイミク)2人目は、進研ゼミで日本一で、英検で問題の間違いを指摘し総理大臣から賞状をもらった天才児。3人目は、後にどえらい発明で特許を取るが、当時は中学生でありながら孔荘孟老思想に詳しく、漢詩を読解でき、且つ古文をふつうに読むことのできる異端児。 2年:校内水泳大会出場が突然決まる。背泳で50M57:00で優勝。水泳部から呼ばれるも、当時のオリンピックの記録からは遠かったため剣道を優先し、断る。 祖父(県警の警察学校教諭)の戦友だったと言う剣道の師匠から、初めて真剣を握らせてもらう。そして、真剣で師匠と斬り合う。人生で初めて死ぬかもしれない戦慄を憶える。このことが原因で、先端恐怖症になり、技工の授業の半田付けで、卒倒し意識を失う。 真剣での斬り合いが頭から抜けず、竹刀が体に触れることも許せなくなり、もう特訓! 剣道バカが始まる。(のちに地元の道場破りを重ね、不遷流柔術の道場に通うことになる。) バス通学だったバスの運転手が運転中に平気で吸っているタバコを注意、バス会社の社長の息子と大げんかの末、バスの運転中喫煙はなくなった。 進路指導の教諭に、進路相談で大笑いされる。志望校への合格点が英語だけまったくたらないと気付き、塾へ、この頃毎日3時まで勉強し、6時には朝練のため学校へ向かっていた。 3年:硝子を踏み、右足の裏の腱を切ってしまい体育祭に欠場。片足での通学により、とんでもないふくらはぎの筋肉を得る。この頃あだ名がガンダムに……。生徒会に立候補するも、落選し、副会長になる。不登校の生徒を毎日登校前、家に呼びに行ったが、名誉欲のためと非難され、その生徒と大喧嘩。修学旅行の班分けで彼を選んでいると生徒会長と同じ班となる。誰ひとり信じていなかった彼の参加を信じ、ついに修学旅行数日前、登校してきた彼と中学最後の思い出を作る。(のちに彼は当時の出来事を詩にし、それが映画化される。) 志望校への合格点ギリギリで悩んでいた時、親友が言ってくれたことば。 「ぼくと同じ高校へきて勉強で窮屈な思いするより、1ランク下げてその学校で生徒会長にでもなって学校のランクごと変えたらいいじゃん!」 この言葉は、のちにその通りになる。

■高校時代-------- 1年:風紀委員   剣道部に所属。 2年:風紀委員長   剣道部・美術部・演劇同好会   東雲祭(体育祭)で団長を務め、優勝に導く。 3年:生徒会長   剣道部・美術部・演劇同好会・文学同好会・体操部   生徒会で、バイト禁止を撤廃し、バイトOKにするなど、いくつか校則を変え、伝説の生徒会長と呼ばれる。 医学部に行って骨髄の培養、もしくは幹細胞の人造化を人生の目標としていたが、諸々の事情で断念、当時親友が見ていた夢(映画監督)に便乗し東京へ上京する。 18歳で東京に上京 日経新聞奨学生制度を活用しながら、東京映像芸術学院に通う。 20の時、親友に裏切られ、人間不信になる。言葉が喋れなくなると言う不思議な現象を経験し、このとき自殺を図る。 別の友人に助けられ、社会の見聞を広げろと渡米を進められる。 20歳からの単身渡米、サクラメント(カリフォルニア州)での4年間は僕の人生を癒し、補い、成長させてくれた貴重な経験になった。日本食レストランを手伝いながらの語学習得は苦労も多かったが、仕事先が事業を次々と成功させる中で確かな手ごたえを感じたものだ。 24歳になった数日後、父と些細な喧嘩をきっかけに僕は帰国を決意する。帰国後は舞台やTVで芝居の仕事をする傍ら、父の影響で料理を学び、フードコーディネーターとしても働き、有名雑誌などの紙面も飾った。 帰国後最初の仕事先は、港区芝の増上寺厨房で、いつかまたアメリカへ帰る日を想い『和食』『精進料理』『懐石料理』などを学ぶ。翌年、ヤクザとオーナーの経営する銀座のクラブでのもめごとが引き金で増上寺を巻き込んだ事件へ発展した勤め先は倒産、当時日本語がおかしいと友人に指摘を受けていた僕は、日本語と日本文化を再勉強するため、落語家【春風亭小朝】の下で弟子見習いをと一念発起、見事弟子入りを果たし、師匠に「春風亭アボガド」の命名をいただく。 紆余曲折を辿り、26歳の時、芸能界を去ると、友人の紹介で某PCメーカーのテクニカル・イラストレーターとしてデビュー。この頃、NYから日本のCNNキャスターとして来日していたブロードキャストと親交を深め、彼の演劇ワークショップで通訳を担当。マイズナーやメソッドなどを学び、ともに舞台にも立ってしまう。芸事から逃げられない人生に運命のようなものを感じつつも28歳で初めて企画・脚本・キャラクターデザインをすべて手掛けたPC用ゲームが紀伊国屋などで発売になる。30歳の時、はじめてバク中ができるようになる。この時、久しぶりに行った空手のフルコンタクトの道場でやったスパーリングがもとで網膜剥離になる。 デザイナーとしての人生を断念、事務職に移る。(左目は今も治療時に眼球をくるんだゴムがくっついている。) この年、初めて女性を知る。駆け抜けた10代20代を経て尚、冒険と波乱万丈の30代が幕を開けることとなった。30代以降、PC機器・電子ピアノ・プリンター・コンパクトTV・ケータイなどテクニカルイラストレーションをはじめ、ゲームのキャラクターデザイン、人物カット、メディカルイラストレーションなど様々なイラストからマンガまでを作成する傍ら、 マニュアル本の作成、グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、Webのアート・ディレクション、各種プロデュース(舞台・パーティ・ライブハウスなど)、ゲームのシナリオ、舞台のシナリオ、フードコーディネーターなども手がける。 33歳で最初の結婚をしたが翌年離婚、36の時に出会った今の妻との間に去年息子が生まれた。波乱万丈の人生からわずかに、落ち着き、静かな生活を今は送っている。次の冒険はなんだろうかと、密かにドキドキしながら・・・・・・

Complete Works HirofumiM

松村浩史全作品集

*どうぞお楽しみください。

It is Personal Work Collection
inspired by the idea behind Bible
and based on the pure of life and love will come from my hearts
with in his name.

FIRST Works is 「Journey to Deep.」

Are you given up on life?
Look!, Attention! telling about What exactly mean "諦める" is you should to know!

Impressed Fantasyすみれ 処女作

The ~MANA~-愛

by Ahasverus Planetes story telling about secret on the bible.

The Wizard who is Master of the Secret in 「KANJI」-陰陽書師

      点駕Tenga

want to know more?

the HUE-MAN,
This is New Story!

will more coming...

have you waited it's more fan*!

* beat up myself! all the time ;)



A Story from The picture.
realblood

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最新情報:4/2.2014
・「リアル・ブラッド」連載再開決定!近日お知らせ
・漢字【諦】に込められた意味を解読するエッセイ。あなたの認識が変わります。
・「HUE-MAN」人間とは○○になるための試練だった?! 斬新な設定のSFアクション・ファンタジー
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